※当記事は自殺を推奨するものではありません
人生で1番犯した法は薬事法。昼間の信号機です。
早死にしたい割には黄色い線から1歩踏み出せなかったり煙草を吸って寿命を縮めた気になったりしている皆様、今日も何とか生活をやっていますか?
さて、私こと昼間の信号機は数ヶ月前(当記事執筆時点)に自殺未遂をしています。結果的には人様に命を助けられたので、こうして記事にすることは捉えようによっては命の恩人に対して不謹慎であると言っていいでしょう。しかしもう二度とするまい(或いはするなら確実にトドメを刺せ)という自戒を込めて、記事に残しておこうと思います。
【そもそもどうして死のうと思ったのか】
これ、身内からとても誤解されているんですが、もともと躁鬱病でクソデカ鬱の波が来たから、ってだけなんですよね。いやあれは逆に躁だったのかな?躁鬱の人は躁の時ほど自殺すると言います。知らんけど。
そもそも私は思想として死ぬなら自殺が良い人間でした。自分の物語は自分の手で閉じたいからです。なので漠然とずっと死にたくはあったのですが、その日は心の中の孔明が「今です!」と言ったので決行となりました。人が死ぬのに大した理由なんてありません。嘘です。理由がある人もいます。
手段は服薬でした。自殺の手法として服薬は正直ロマン枠です。私は完全自殺マニュアルを隅から隅まで完読しちゃったタイプの人間ですので、自殺については一家言あります。一家言って「いっかげん」って読むらしいです。私は今この記事を書いてて「いっかごん(なぜか変換できない)」となり今知りました。
閑話休題。
自殺は最適な吊り場所さえあれば首吊りが一番コスパがいいです。必要なものはロープだけ、人様にかかる迷惑も最小限、完遂率も高く失敗しても大した後遺症が残ることは少ないです。苦しみも少なく、飛び降りよりは勇気も必要ありません。首吊りしか勝たん。
飛び降りはダメですね。まず飛び降りるのが怖い上に、着地場所や角度によって完遂率がだいぶ変わってくるので運ゲー要素が強いです。しかも失敗すると致命的な後遺症が残る場合がほとんど。何もいいことがありません。
電車飛び込みはほぼ100%完遂できますが、人様に迷惑がかかる上に遺族に多額の賠償金が請求されます。天涯孤独の人や、自分が死んだ後のことなんか知ったこっちゃねぇやという人にオススメです。私の中では電車飛び込みか服薬の2択でした。首吊りはロープの扱いが下手すぎて過去に何度も失敗しています。
ちなみに自殺の中で最も苦しいのは焼身自殺らしいです。次点で溺死。
肝心の服薬についてですが、これは致死量を飲んでも死ねなかったり、早々に見つかって胃洗浄されたりする可能性が高く、正直そこまで完遂率は高くないです。後遺症も残りますし、生き残ってしまった場合多額の医療費がかかります。しかし服薬の何が良いかと言えば、「(薬の備えさえあれば)自宅で思い立った時その場で実行できること」「勇気がほぼ要らないこと」「(服用する薬さえ誤らなければ)苦しまずに死ねること」といった具合で、服薬を選択するメリットはかなり大きいのです。私は生きることがしんどい時に「私は死のうと思えばいつでも死ねるが????」と思えるお守り代わりに致死量のお薬を備えてありました。
【ワクワク!服薬3分クッキング☆】
具体的な薬品名を挙げるのは避けます。なぜならこの記事を参考に真似する人が出て、今度私が服薬自殺する時にその薬が規制されていたら私が困るからです。
強いて服薬で未遂に終わらないようアドバイスできるとしたら、「数日間誰にも見つからない場所で」「致死量の3倍以上は見て」「単薬で死のうとしない(複数の薬を使用する)」ことでしょうか。自殺のアドバイスなど如何なものかとは思いますが、やはり1回覚悟を決めたなら完遂したいですからね。
さて本題。
まず致死量の薬を用意します。インターネットなどを参考になるべく正しい知識を得て、楽に死ねる薬を選びましょう。ちなみに完全自殺マニュアルに載っている薬は現在では成分が変わっているため、幾ら飲んでも全く死ねません。あれは情報が古いので、読み物としては面白いですが本当に自殺の参考にできるものではないです。
薬を用意する方法も自分で調べてください。取り締まりが厳しくなったら私が困るからです。
次に、メインの薬を補助する薬を用意します。これは致死量でなくても構いません。具体的な効果や薬品名を書くことは避けます(これも真似されて入手困難になったら私が困るため)が、とにかく命に関わりそうなものを選びます。処方薬が望ましいですね。何となくメンヘラの王道だからとSSブロン錠なんかを飲んでも、何の補助にもなりません。
そして最後に酒を用意します。お好きな酒で構いません。強いて言えばアルコール度数が高い方がいいんでしょうか。アルコールと一緒に薬を摂取すると完遂率が上がります。私は1番大好きな獺祭磨き3割9分を選びました。
更にオプションとして、何か言い遺したいことなどがあれば遺書を用意しましょう。私はiPhoneのメモ機能で遺書を書いてスクショし、スマホの待受画面にして置いておきました。私にはそこそこの額の貯金がありましたので、誰に幾ら渡して欲しいだのといったことを書きましたね。
そしてこれは全くオススメしませんが、呪いたい人がいれば今から死ぬ旨を連絡しましょう。なぜ呪いになるかといえば、その相手は一生自殺者のことを忘れないであろうからです。実行場所が自宅の場合、自宅を知っている人はダメです。通報され、救急が来て生き残ってしまいます。
これらの工程で服薬自殺セットは完成です。全て揃えたものがこちらになります(3分クッキング)。
【今回の敗因について】
筆者がなぜ未遂に終わったのか?何が悪かったのか、そのあたりを書いていきたいと思います。
まず薬を致死量ギリギリしか飲まなかったことです。3倍くらい見た方がいいことは分かっていましたが、「どうしても今死にたい‼️」と思っていたのと、家に致死量ギリギリ分しか薬の備えがなかったのでそうなりました。備えるなら3倍分くらい備えましょう。
次に最期のメッセージを送る相手を間違えたことです。確かに呪いをかけたかった相手はその人で合っていたのですが、位置情報共有アプリ(ゼンリー的な)を交換していたことが致命傷でした。いや、死ねなかったのだから非致命傷と言った方がいいのか……? そんな言葉遊びはどうでもいいとして、私は位置情報共有アプリの精度をナメていました。おおまかな場所は分かっても住所番地までは分からないだろうから通報できまいと高を括っていたのです。あれって意外と精度がいいんですね。しっかり通報されてしっかり自宅まで警察と消防と救急が来ました。これは豆知識ですが、自殺の場合、警察消防救急が全部来ます。警察は事件性がないかどうかと部屋の隅から隅まで漁り、消防には窓を割られて、救急には言わずもがな病院に搬送されます。退院したら財布の中まで警察に漁られていたのにはさすがに閉口しました。
【知らない天井だ!】
目覚めたら知らない天井だった! みたいなことがよく書かれていますが、少なくとも私の場合初手でそんなにハッキリと意識が戻ることはありませんでした。
ぼんやりとした意識の中、まず1番最初に思ったことは「最期のメッセージを送った相手に謝らなきゃ」ということでした。そして自由のきかない手を何とか動かして、ベッド脇にあったスマホで「ごめん。生きてる」とLINEをした……つもりでした。つもりだったのです。後にそもそも手ぶらで病院送りにされているのだからスマホなんてなかったことを知ります。夢か幻覚の類だったんですね。というかよしんばスマホと一緒に搬送されていたとしても、病院内でスマホが使えません。とにかく私はLINEを送った気になって、また意識を失いました。
次に意識が浮上した時、周りから全く声が聞こえないことからここが個室であることを知り、そして今日が何月何日なのかが気になりました。当時の仕事は人が1人休むと大変致命的なお仕事でしたので、シフトを恐らく無連絡で飛んでしまっているだろうと思ったんですね。ぼんやりとそれだけ思って、私の意識はまた落ちていきました。
その後も何度か途切れ途切れに意識が浮上しました。いつ意識が戻っても誰かしらの医療従事者が近くにいたので、なんだか大事になってしまったんだなと思いました。後にそこがICUであったことを知ります。
手足が拘束されていることに気付いたのは、背中が痛くなって寝返りを打とうとした時でした。しかしなぜだか声が出ません。後にそれが喉に管を通して薬を吸い上げた後遺症であることを知ります。人工呼吸なんかもされたいたらしいです。大蛇丸の100倍くらい掠れたほぼ空気みたいな声で、しかも長文は喋れないので「タスケテ……タスケテ……」と看護師さんに瀕死のモンスターみたいな鳴き声を上げるのがやっとでした。看護師さんには「いま深夜だから寝てな〜」とあしらわれました。まぁ背中が痛いという意思疎通ができない以上看護師さんも助けようがありませんから、これは仕方のないことです。
まともに意識が機能するようになり声がもう少しマトモに出るようになった頃、看護師さんが指を立てて「これは何本?」と聞きました。1、と答えると「じゃあこれは?」と手を広げられました。5、と答え、そんなかんじのやり取りを経た後、私は看護師さんに寝返りを打ちたいし蒸れて痒いから拘束を解いて欲しいといった旨のことをたどたどしい日本語で伝えました。というか自力で脱出を試みていたので拘束は取れかけでした。看護師さんは「点滴を取ろうとして暴れる人がいるから手足拘束してたんだけど、信号機さんは大丈夫そうだね」と言って拘束を解いてくれました。
もののついでに日付を聞き、自分が丸2日以上意識を失っていたことを知りました。
そしてLINEを送ったつもりのスマホが見当たらず、看護師さんに「そこに置いてあった私のスマホを知らないか」といった旨のことを(実際には「スマホ……知りませんか……私の……そこにあった……」みたいなかんじだった)訊ねると、「そもそもスマホは搬送されてきていない」「だからここにはスマホはない」ということを聞かされました。ここで私はやっと送ったつもりのLINEが夢幻の類であったことを知ります。
生きてるって伝えなきゃ、でも手段がないな、とそんなことを思いながら、私の意識は沈んでいきました。
【今度こそ知らない天井だ!】
次に意識が戻った時、私はまず個室にいないことに気付きました。室内は騒がしく、看護師さんが隣の患者さんと話す声なんかが聞こえてきます。後で知ったことですが、名前は忘れましたがICUで山場を乗り切った人が突っ込まれる部屋らしいです。
どれが何の管かは分かりませんがとにかく管まみれでした。今でも管を刺された痕が腕に残っています。点滴だったり、尿をトイレに行かなくても排泄するための管だったりしたらしいです。ただそのトイレの管は知らないうちに抜けていて、耐え難い尿意でナースコールを連打したところ「あれ、管抜いちゃったの?ダメじゃん!」と冤罪を着せられ、介助されながら覚束ない歩行でトイレまで連れていってもらいました。そこで私はマトモに歩けなくなっていることに気付きます。
医者がやってきて何かを説明したり、自称精神科医がやってきて「まだ死にたい気持ちはある?」とカウンセリングもどきをしに来たりはしましたが、基本的には本当に暇で暇で暇でした。ちなみに自称精神科医は微妙に答えに窮した私を見て、「ちなみにここで死にたいって答えると、50代の統合失調症のおじさんばっかりいる精神病棟に入院しもらうことになるけど……」とあからさまな誘導尋問をしてきました。助かったけどそれでいいのか?
やたらと喉が乾きました。ただ内蔵が弱っているからあまり一気に水を飲んではいけないと言われ、小さな水差しみたいなものをサイドテーブルに置かれました。サイドテーブルまでそこそこ距離があり、身体が満足に動かない私には水差しを取るのすら一苦労でした。そしてずっと喉が渇くので水差しの水は頻繁になくなり、そのたびにナースコールを押すのが心苦しかったです。看護師さん忙しそうだし。
人間ってスマホがないと本当にすることがないんですね。悲しきZ世代の性です。はァテレビもねェ、スマホもねェ、車もそれほど走ってねェ、走ってんのは看護師だけ……と思いながら永遠とも思える時間を過ごしました。点滴の落ちる様を見るくらいしかやることがなく、医者には「午後になったらリハビリして、歩けるようだったら退院しようか」と言われていたため、昼食が本当に待ち遠しかった。時計がないので時間の経過も分かりません。途中で看護師さんがラジオをつけてくれた(強欲なので「(任意のローカルラジオ)にしてください」などと注文をつけた)ので30分おきくらいに時間が分かるようになったのですが、これだけ暇に耐えたのにまだ30分しか経ってないのか!と絶望感が増すのみでした。
これ以上暇だと爆発してしまう……などと思い始めた頃、やっと昼食が運ばれてきて私は暇から解放されました。が、スプーンを持つ手は覚束ないわ、そもそも身体を縦にするのもしんどいわ、ふやふやの病院食は味がしない(後にちゃんとした料理を食べたところ後遺症で一部味覚が死んでいることが分かったので、病院食がクソマズかったとも言い切れない)わで、食事は思いのほか苦行でした。しかし残すのも忍びないし、何よりまともに食事が取れないからと退院を延ばされてはたまったものではないので、意地で完食しました。
そんな昼食を経てまた暇に耐え忍ぶのか……と思い始めた頃、唐突に看護師さんがやって来ました。
「ご両親が迎えに来たよ」
あれ???リハビリは?????
「さっきトイレ行く時歩けてたからいいってお医者さんが言ってた」
だいぶ介助つきだったけど。スパルタ病棟か。
しかしこれ以上この暇な病棟に幽閉されては狂ってしまうため、早めに迎えにきてくれた両親には感謝しました。あと高額な医療費を払ってくれたことにも……(人工呼吸と、喉に管を通して薬を吸い出すやつが高かったらしく、20万ほどいかれたらしいです)。
かくして私の4日間の入院生活は幕を閉じました。
【後日談】
両親には怒られるかと思いましたが、腫れ物に触れるように優しくされて何とも言えない気持ちになりましたね。
正直私は私が一番苦しんでいた時期に助けてくれなかった両親よりも、その時期に助けてくれた人たちのことが気になりました。要はツイッターの繋がりの人たちです。
心配する人、助かって良かったと言う人、気付いてあげられなくてごめんと言う人。躁鬱が急に悪化しただけだしなんも気付くことないねんけどな……と思いつつ、ありがとうございますとだけ返しました。
死ぬなら私と遊んでから死ねと怒る人、死は救済だから完遂して欲しかったと言う人。別に心配してくれた人や助かって良かったと言ってくれた人を蔑ろにするわけではないですが、私にはそっちの方が嬉しかった。私は死にたかったんだから、助かって良かったことなんて何一つないのに。良かったなんて言われても困ってしまう。死は救済だから救われて欲しかったと言ってくれた人が、いちばん私のことをよく知って、考えてくれた人でした。
ところで私にはツイッターを開く前にやることがありました。私が呪いをかけようとした人、私を通報して生き残らせた人に連絡をすることです。
とりあえず生きているということは報せないとダメだと思いました。迷惑かけてごめんと謝ったら、したいようにしただけだからいい、と返ってきました。
こうして私は退院をしたわけですけれども、しばらくは味覚がちょっとない、粥しか食べられない、歩行が覚束ない、大蛇丸並の掠れ声しか出ない、誤飲性肺炎を患って咳が出るし煙草も吸えない、下手な看護師に針を刺されて腕が痛くてまっすぐ伸ばせない、などの様々な後遺症に悩まされました。とはいえ致命的なものは特になく、どれも1ヶ月も経つ頃には完治していました。
仕事先は無断欠勤のケジメと心機一転のため、辞めることにしました。夜職だったし、それなりの額を貯めたし一旦夜を上がるいい機会だと思ったのです。
私の自殺未遂の顛末はそんなかんじでした。真似しないでね。
【最後に】
書いてみて、全然だから何ということはない記事になってしまったな……と思いました。めちゃめちゃ苦しんで注意喚起になるとかならともかく、幸いにして(というか選んだ薬が良かったので)、全く苦しまなかったので。強いて言えば医療費がバカ高いので必ず完遂する自信がない限りやらない方がいいと思います。
それではまた。
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